いじめ問題とネットリンチに対して思うこと。加害を連鎖させないために!

オーナー兼カウンセラーの佐々木です。

普段はハロプロアイドルの新着情報を確認する目的でSNSを眺めているのですが
(InstagramもXも全く同じ理由で開いています)

最近、いじめをめぐる事件やその映像がSNS上で拡散され、社会的な糾弾や強い非難の声が一気に高まる…という形の“炎上”を目にする機会がありました。

いじめは、人の尊厳や安心して生きる土台を根底から揺るがす行為であり、簡単には癒やすことのできない深いこころの傷を負わせるものです。

直接的には無関係な第三者であっても、被害をイメージしたり、実際に具体的な情報の一部にふれることによって怒りや憤りの感情が湧き上がるのは、ごく自然なこころの動きだと思います。

 

私はカウンセラーとして、日々見えない傷を抱えた方々と向き合っています。

いじめの被害は、単なる過去の出来事として終わるようなものではなく、
自己評価、人間関係への根本からの信頼、将来への見通しといった人生の基盤に長く影を落とすことがあります。

だからこそ、被害者の安全確保と回復支援が何よりも優先されるべきであるという点について、まったく異論はありません。

一方で、ネットリンチという形で問題が“解決されたかのように見える”構図について、専門職として考えさせられることがあります。

ヒカペじゃないほうの仙台イルミ。一方通行なことに気付かず、逆から入ろうとして迂回させられたのがツボでした

SNSや動画共有サイトの一般化によって、これまで表に出にくかった出来事が可視化され、誰の目にも触れやすくなりました。

学校や組織が十分に対応してこなかった問題が社会の目に晒され、調査や対応が進むきっかけになることもあるようで、情報の共有が持つ力は決して小さくないことを思い知らされます。

しかし同時に、拡散のスピードや大人数が持つ感情の熱量は、事実関係の精査や当事者のプライバシーへの配慮を置き去りにしてしまうことがあります。
名前や学校、家族構成といった個人情報が広まり、当事者だけにとどまらず周囲の人々までが二次被害にさらされるケースも少なくないのでは、と考えます。

社会的な怒りが集団攻撃へと変わるとき、「いじめを止める行為」と「新たな加害の構造」の境界線はどこまでも曖昧になっていくのです。

 

改めて明確にしておきたいのは、被害者と加害者の「傷」は、決して対称ではないということ。

いじめによって受けた心の傷は、年単位、時には生涯にわたって影響を及ぼすことがあります。
一方で、加害者は指導や処分…周囲からの非難をある程度受けた後は、比較的早期に日常へと戻っていく場合もある、というのが現状です。

この非対称性が、社会に強い怒りを生む正当な理由となり、その怒り自体を否定することは、被害者の苦しみを軽んじることにも映りかねません。

なぜかラプンツェルを思い出しました。キューブ型の光が密集しているからかな?

カウンセラーという立場から、加害者へのメンタルケアと介入について、目をそらさずお伝えする必要があります。

それは赦すためでも免責するためでもなく、次の被害者を生まないためです。

処罰や非難によって行動が一時的に止まることはあります。

しかし、いじめという行為をおこなうに至った思考の癖や対人関係のスキルの欠如、歪んだ承認欲求、集団の中での力関係の捉え方といった内面的な要因がそのままであれば、
環境が変わったときに同じ行動が再現される可能性は残り続けます。

加害行動の背景にあるものに私たちが介入することは、加害者のためだけではなく、社会全体の安全を守るための予防的な取り組みでもあるのです。

 

ネット上での糾弾は、しばしば「正義の実行」として語られますが、
法的な手続きや教育的な介入、専門的な支援と異なり、ネット上の制裁には終わりがありません。
一度貼られたレッテルや拡散された情報は、“デジタル・タトゥー”などと揶揄される通り、半永久的に残り続けることもあります。

問題解決の軸が「誰をどれだけ強く叩いたか」になってしまうと、いじめという行為が生まれる構造そのもの(=集団の空気、権力関係、相談できない環境、支援につながらない・つながれない仕組み)が、かえって見えにくくなってしまいます。

仙台中山イオンってめっちゃジャスコだよな~と思いながら歩いていたら真横にコレ。怖い!

被害者の回復支援を最優先にしながら、同時に再発防止の視点で加害者にも介入する。
この二つは対立するものではなく、本来は同じ方向を向いています。

後者でいうケアとは、感情的な「赦し」の話ではなく、社会的な「予防」の話です。
誰かを許すかどうかは、被害を受けた人だけが決めることです。
しかし、同じ構造の中で次の被害が生まれないようにする責任は、社会全体にあると私は考えます。

 

いじめのニュースに触れるたび、私自身も感情を揺さぶられます。その怒りや悲しみは、決して間違ったものではないと思っています。

ただ、その感情が向かう先が「断罪」だけで終わってしまうのか、
「再発を防ぐ仕組みづくり」へとつながっていくのかで、社会の姿は大きく変わるはずです。

カウンセラーとして、社会を構成するひとりの人間として、考えることをやめずにありたいと思います。