裏アカで悪口を書かれ、グループ内で1人だけ誘われなかった学生時代。就活時の希死念慮。

オーナー兼カウンセラーの佐々木です。

私の学生時代はSNS黎明期で、「mixi」「GREE」が流行っていました。

「Twitter」は後発だったと思います。

 

悪口を書かれていたのは裏アカ(裏アカウント)どころかもはや見える場所で、

ギリギリ(これは私のことか・・・?)と分かるか分からないかの内容で書いてあって

コメント欄を開くと名指し。

 

具体的な単語を挙げるのは避けますが、

「異性関係にだらしがなく、異性にばかり媚びる態度をとるくせに、

普段はそれとわからないような雰囲気で取り繕って生きている卑怯な女」

というようなニュアンスで、私は評価されていたようでした。

青葉区愛子「ハングリーハングリー」のチーズハンバーグナポリタン。調子に乗って大盛り

未成年の方がカウンセリングにいらしたときに、よくお話をするのですが

私は集団に合わせることがかなり苦手な方で

特に同性の友達に対しては異常に気をつかい、ひたすら顔色をうかがっていて

それでも嫌われるレベルで、おそらくかなり空気が読めないタイプでした。笑

 

明らかにハブられ始めた時は、就活も上手く行っていなかったので

毎日死にたくて、生きている意味がわからない、という心境になったのは

思い返すとこのとき(19~20歳)が人生で初めてだったかもしれません。

 

理系の学校だったので、女子が少なくて

ただでさえ少ない女子の中でハブられてしまうと、居場所がなくて

バイト先でももちろん器用に立ち回れないし

勉強面でも専門的な科目についていけなくて、その時期の私にとっては

私を取り巻いている全てのことが真っ黒みたいに感じていました。

 

就活では、やりたいこともないのに

(そもそも働きたい!という気持ちがないので、なんの仕事がしたいなどの考えも当然ない)

興味のない分野の興味のない企業の中からなんとなく行きたい(ような気がする)企業を決め

それっぽい志望動機をひねり出して組み立てて、やる気があるような顔を作って面接に臨んでも

想定外の質問が飛んでくると頭が真っ白になってしまって

震える声で、思いつきのペラペラした言葉を喋りながら

落ちただろうな、と思って本当に落ちる。というようなことが

何度も繰り返されて、楽に死ねる方法を考える日々でした。

周りの同級生たちはどんどん進路が決まって、

取り残されていく不安を和らげたり励ましてくれる人もいなくて

あの頃のことは、思い出すだけで胃が浮いてくる感じがします。

劇団の舞台を見に行きました。小規模ステージ特有の近さで、見ているこちらが緊張しました

「社会不適合者」という言葉を知ったのは、ずいぶんあとでしたが

もしも当時の私にその名前を知る機会があったなら、

こんなにクズで情けない思いで生きているのは自分だけじゃないんだな、と安心できていたのかもしれません。

性質にタグ付けされる安心感は、私自身がよく知っています。

(メンヘラ、ADHDなどもそう!)

 

社会人になってからも、このときの経験は長く私を苦しめていたように思います。

同性の友達が出来ない、人に嫌われる。

社会人として、人間として周りより劣る。

この考えがほぐれるまでに、4~5年かかりました。

 

今は、大事な女友達が何人かいて

自分なりに大好きな仕事があって

なんとか自信が追いついてきて、穏やかに過ごせるようになりました。

楽天観戦⚾️ 炎天下のデイゲーム。佐々木は真ん中です

一つ一つ積み重ねて前に進むしかない、という考えに頭を切り替えられるようになるまでに、

恋愛で病み倒したことも、転職をしまくったことも

私には必要な経験だったのかもと思います。

 

それもこれも、恵まれた環境あってこそなので

感謝しながら、周りに恩を返しながら生きていきたいです。

 

いつもよりも徒然に綴らせていただきました。

 

誰かが苦しい考えから抜け出すヒントになれば嬉しいです。

 

それでは、またカウンセリングルームで🌙