私にかかった呪いの話。「お姉ちゃんは美人だね!」

オーナー兼カウンセラーの佐々木です。

突然ですが2つ上の美人の姉(母違い)がいます。
後藤真希やリア・ディゾン、堀北真希などに似ています。
目力があり、鼻筋の通った顎の小さい美人です。

 

両親のあれやこれやの事情で、
物心ついた頃には離れて暮らしていた姉でしたが

ときおり親のはからいで(?)1~2ヶ月に1回か、
幼い頃の記憶なのでもう少し低い頻度だったか定かではないのですが
その姉が遊びに来てくれることがあり
お泊まりしたり、一緒に出かけたりしていました。

私の周りの同級生や大人たちは、
「私のお姉ちゃんです」的な紹介をするなり

「お姉ちゃん、すごい美人だね!」
「可愛いね!あんまり似てないんだね!」

と、おもにこういったコメントをすることが多かったのです。

もちろん言っている人たちには悪意などまったくなく、
ただ初めて見る子どもへのリアクションとして
ポジティブな言葉を使っているだけなのですが

そういった言葉を耳にするうち、
私の中には次のような感覚が育っていきました。

私の顔は美人、可愛いに属する見た目ではないんだな

 

その当時、なぜか私は自分の強みを
おもしれー子どもだと思っていて(何でだろう…)

自分よりも可愛い子、洋服などがおしゃれな子よりも

「〇〇ちゃん、〇〇くんって面白いよね」
と他人が評価されていることを耳にするほうが
圧倒的に悔しかったのです。

『おもしれー女はときめかない』/奥田 薫

また、その頃はまだまだみんながテレビを見ていて
バラエティ番組の内容が共通の話題になっている時代で

オアシズの大久保佳代子さん(なぜか記憶に残っている)を始めとした女芸人さんや
ロンドンハーツに出演する女性タレントさんなど

「トークスキルに長けた女性芸能人」を
日夜目にする機会があったことにより

今になって言語化すると、
私は当時こんなことを考えるようになりました。

美人でも可愛くもない私は、面白さや教養を身に着けなければ
これから先、生存競争の中で生き残れない気がする…!」

 

そうやって、兎にも角にもおもしれー女であることを
念頭に置いて生きてきました。

 

ここまではさておき、単なる健気で珍妙な子どもだとして

高校時代~社会人初期のころになり、
この呪いはじわじわと効力を発揮しました。

「私ってブスなんだよな、どうしたらマシになれるんだろう」
「整形っていくらぐらいかかるのかな?どこなら治せるかな?」
「デブすぎて死にたい……(食事制限→ストレスで過食)」
「いま変な顔になってないかな?メイク崩れてないかな?」

 

SNS黎明期の世代ドンピシャなこともあり

醜形恐怖症の幕開けです。

次回の更新に続きます。

前の記事

箸置き愛🥢!?新着!!