「だれを愛そうがどんなに汚れようがかまわぬ 最後にこのラオウの横におればよい」精神
オーナー兼カウンセラーの佐々木です。
表題は、漫画作品『北斗の拳(武論尊・原哲夫)』に登場する架空のキャラクター「ラオウ」のセリフから。
過去のことをいちいち気にしてしまう私に響いた名言です。
そのほかにも、「我が生涯に一片の悔いなし」もラオウのセリフ。
愛や人生について、文字通り体当たりで教えてくれる作品です。
私は、自分のパートナーの元恋人や
叶わなかった片思いの相手、的な存在がとても苦手なのですが
(まだ好きなんじゃないの?)
(チャンスさえあれば再度挑みたい対象なんじゃないの?)
(手に入りそうで手に入らない・入らなかった女は神格化されるって言うじゃん?それなんじゃないの?)
という考えというか
かつ、相手が過去にしていた恋愛遍歴が、すごく気になってしまうタイプでした。
例えば
・長く続かないんだよね
→すぐ飽きちゃうってこと?じゃあ私のこともそのうち飽きるじゃん…
・前の彼女重かったんだよね
→いずれ私も重くなって嫌われるってことだ…
・年上(年下)と付き合ってた
→私は同い年だし、本来は対象外なのか…
・結構遊んでたんだよね
→私も遊ばれるってこと?無理!!
というふうに捉えてしまいがちで(認知の歪み!)
そしてそれは、自分に対しても同じように考えていました。
「人は変われないし、変わらない」
という前提がネガティブに作用していたのです。
確かに、他人に対して変わることを期待したり、変わってもらう前提で関わることは
叶わなかった時にがっかりするリスクがあるので
オススメはしないのですが
さっきの例をリフレーミングしていくとしたら
・長く続かないんだよね
→ベストな相手をストイックに探すタイプか、継続させるスキルのない相手を選んできたんだな。長く続かないことをよく思ってないようなニュアンスってことは、本当は長く関係を続けたいタイプなのかも。
・前の彼女重かったんだよね
→重さのある感情を押し付けられるのは誰だってイヤだろうし、若いときほど自由を奪われる感覚はストレスになるだろうから、加齢した今後も同じかはわからない。むしろ「重い」体験済みということは、重くなるタイプの女性が趣味なのかも。そうなると、私みたいなのは好みだろうし、あとは重さの加減さえできれば、うまくやれるのでは?
・年上(年下)と付き合ってた
→同い年(年上or年下)じゃなければイヤという人もいる中で、この人は許容範囲が広いんだな。私は同い年だけど、精神的には大人なほうだし(甘えたり頼られるのが好きなんだろうからそうしたらいいし)なんとでもなるな。特に重要性の高い情報ではないな。
・結構遊んでたんだよね
→異性に対する抵抗感が少ないということだ。あとはその「遊ぶ」が積極的な遊び方なのか、それとも断るという概念がなくて結果的に数を重ねてしまっていることを「遊んできた」と表現しているのか、そしてこれからも遊びたいのか遊び終わっているのか、今ここからのスタンス次第だ。
……といった捉え方次第で、現状に対する印象は変わってくるのかなと思います。
冒頭のラオウ様のセリフは、私にこの考え方を思い出させてくれるスイッチのようなものです。
というのも、私自身、自動的にこういった思考の舵がいつでも切れるのかというと
そのときのコンディションにかなり左右されてしまうためです。
生理前だったり、ホルモンバランスが崩れていたり
自律神経が失調気味だったり、あるいは単純に疲れが溜まっていたり、空腹だったり寝不足だったり
ちょっとした調子の悪さが重なると、考え方がネガティブに飲み込まれてしまうことは、全然あり得るのです。
仕事柄、ひとの話を客観的に聞く分には、ほとんど自動思考でこの考え方がセッティングされているのですが
いざ自分のこととなると、今でもブレることはあるので
こうした分かりやすい起動装置のようなアイテムがいくつかあると
(心に快活なギャルを…なんていうのも流行りましたよね)
切り替えがしやすかったりします。
いつでも心にラオウ様。
それでは、またカウンセリングルームで🌙